日々、好きなことをし、生活している人はどれくらいいるのだろう。
そんな理想だけでは飯は食えないし、そんな事は分かっている。一方でそう答えながらも本当にそうなのか?ただ都会の生活に染まっているだけではないのか?
そう考える時間が最近増えていた。
地方出身の私は都会への強い憧れがあった。都会に行けばなんでも揃う。情報や人が溢れている。オシャレな場所にだってすぐ行ける。確かにそれは間違いでは無かった。
でも、その一瞬の満足の為だけに住んでいるのか。もっと他にやりたい事があるのではないのか。
どこかでそう考える自分がいるのだ。
●何かが違う
何も今の生活に大きな不満があるわけではない。
仕事も順調だし、大好きな家族にも囲まれている。横と比較しても仕方ないが金銭的にも余裕はあるし、カツカツ の生活とは程遠い。でもどこか煮え切らない自分がいるのだ。何と言うか自分にも嘘をついて毎日送っているような気がしてならないのだ。
今の自分は都会の景色の中に埋れている感じだ。それをカッコ良いと騙し騙し生活しているいるのではないか。日本の中心・東京で働く。それが最高峰なのだと言 い聞かせているのかもしれない。でも、本当にそれが幸せなのだろうか。最高峰でないとダメなのだろうか?そしてそれが東京なのだろうか?
何も積極的に地方で暮らせと言いたいのではない。本当に考えられた上で東京という結論ならそれはベストなのだろう。
でもただ何と無く東京で働いているから安心ということではダメではないか。
「都会の空気に麻痺して自分を見失っているのではないか。」
言いたいのはそういうことなのだ。自分を擦り減らしてまで暮らす意味がどこにあるのだろうか。
と考えながらも翌週もまた同じ生活を繰り返してしまうのだ。そして気付いたら翌年も同じ。そうやって歳を取っていくのだろう。どこかで転換しなければならない。そう考えながらも踏ん切りがつかないのだ。
と言うより、踏ん切る先が決まっていないのだ。まだこうしたいと進む目標があれば後はそれに向かって立ち上がるか否かの問題なのだ。
それ(目標)すら日々ただ何となく生活する。そうして死ぬ間際、初めて人生の有限性を理解した時に後悔するのだ。
そんな人生に意味はないし、そうすべきではない。
まずは目標を見つけ、それに向かって努力する。動く。人生はそうやって色づけしていくのだ。
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